大震災で日本の政治の何がかわるか
レベル7の原発事故をも誘発した3月11日の大震災は、我が国にとって、1923年9月1日の関東大震災以来の、正に100年に一度の大災というべきものであろう。
関東大震災は、1867年の明治維新からほぼ50年の後に起きた。その50年の間に、日本は、鎖国を祖法とした極東の神秘的な小国から、アジアで唯一の西欧的な近代国家に見事な変貌を遂げ、1920年に発足した国際連盟では常任理事国を務める世界の一等国に成り上がった。

しかし、そのわずか20年後の1941年、全土を焦土と化す愚かな大戦争にのめり込んでしまった。結果的に、関東大震災は国運衰微の予兆となったのである。明治維新は、長州藩、薩摩藩の地方軍閥が主導して王室を担いで企てた軍事クーデタである。その当然の帰結として、維新の元勲の差配の下、両藩の出身者が政府の要職を独占した。
自由民権運動に始まる民主化運動が実を結び、そういう状況に明らかな変化が見え始めたのが1918年である。この年、「維新の朝敵」盛岡藩の上級武士の家に生まれた原敬が衆議院議員として初の内閣総理大臣の座に就いた。
そして、大震災の翌年の1924年には尾張藩の下級藩士の子である加藤高明が首相となる。それ以後、1932年の五・一五事件の後に海軍出身の斎藤実が組閣するまで、衆院第一党の党首が首相になることを原則とする「憲政の常道」が慣行となった。
加藤局明は初の東大法学部出身の首相であった。その妻は、三菱財閥を創した岩崎弥太郎の長女である。学校制度の充実と商工業の発展が、藩閥に代わる新たなエリート層の形成を促していたことの象徴といえよう。このエリート層は、戦後は、自民党の実質的な一党独裁体制を支えて、日本を世界第2位の経済大国に押し上げるエンジンとなった。
今回の大震災は、奇しくも、ほぼ50年続いたその体制の利権体質が徹底的に批判され、崩壊した矢先に起こった。つまり、2つの大震災は、共に、我が国の政治史上例外的にデモクラシーの高揚した権方の空白期を襲ったのである。
関東大震災後、腐敗した政党政治は国民の信望を失っていった
経済的には、国内的にも国際的にも状況が異なり過ぎていて、単純な比較は難しい。
ただ、1914年に始まった第一次世界大戦が日本に未曾有のバブル景気をもたらしていたことは注目に値するだろう。当時、圧倒的な先進国であったヨーロッパ製品の輸入が途絶えたことが国内工業の勃興を促し、船代の暴騰は「料亭の玄関が暗いから紙幣を燃やして靴を探させた」という船成金の逸話を生んだ。2000年代前半のITバブルを彷彿させる。
そして、いつの時代にもバブルの恩恵は庶民にまでは及ばない。1918年には、米価の高騰が地主、業者の売り惜しみ、買い占めを招き、窮した暴徒が米穀店などを襲ケ米騒動が起きた。この時、米買い占めの元凶とされて本社が焼き討ちにあったのが新興財閥の鈴木商店であった。
国策銀行の台湾銀行と結託して急成長した鈴木商店は、大戦終結に伴う反動景気で経営危機に陥っていたところ、関東大震災で被災した企業を救済するために支払い猶予を認めた震災手形の制度を悪用して延命を図った。この手の話に限った悪例ではなかった。財閥と癒着して腐敗した政党政治は国民の信望を失っていく。1926年には時の首相の若槻礼次郎が汚職事件の捜査対象となった。今風にいえば「政治とカネ」の問題である。
膨大な不良債権と化していた震災手形の抜本処理を巡って議会は紛糾、1927年3月の片岡直温蔵相の失言をきっかけに取り付け騒動が起きて、結局、数十の銀行が休業に追い込まれた。休業した銀行の預金の総額は全体の1割近くに達した。
世にいう「金融恐慌」である。今日のような公的な預金保護の制度が一切なかった当時、庶民の心配と動揺は図り知れないものであったろう。幸い、この金融危機は、高橋是清蔵相の見事な手腕によって実体経済には大きな影響を与えることなく収束した。
しかし、1929年10月のニューヨーク株式市場の暴落に端を発した世界恐慌のさなかの1932年、五・一五事件で犬養首相らが暗殺されて、「憲政の常道」の時代は幕を閉じたのであった。なお、この時も蔵相の任にあった高橋は、時代を先取りしたケインズ的な積極財政を断行して、世界に先駆けて恐慌から日本を救い出す偉業を成し遂げた。
この幾度も国家の危機を救った稀代の名財政家は、1936年、82歳の高齢を押して蔵相を務めていた時に、軍事予算の削減を恨まれて二・二六事件の犠牲となった。
政治への失望が高まれば企業の生産拠点の海外移転に拍車も
振り返れば、政党政治は関東大震災の処理にもたつくうちに人心を失い、そこに付け込んで勢力を伸ばした凶悪な軍国主義が日本を破滅に追いやった。
共産主義への不安、貧富の格差への不満、政党政治への不信に駆られた国民大衆は、愚かしくも軍部の暴走を喝采した。日本軍による最初のテロ行為とされるのが、関東大震災の混乱に乗じた無政府王義者・大杉栄一家の虐殺であり、その首謀者とされた甘粕正彦大尉の処罰が驚くほど軽かったことは、きわめて暗示的である。
もちろん、今日では共産主義の脅威はない。リーマンーショツクから立ち直った世界経済は好調であり、20年間デフレが続いた今もなお、日本人の絶対的な生活水準は高い。軍国主義がつけいる隙は恐らくないであろう。
しかし、政治に絶望した国民が別の形で国家を見限ることはあり得るかもしれない。手っ取り早いところで、原発事故に端を発した電力不足が早期に解消されなければ、企業は生産拠点を国内から海外に移さざるを得なくなるだろう。
現代に生きる私たちは、1930年代とは違って、国家と心中する必要はないのである。